自虐的需要アピールの虚無感
小中(高)の頃は「(私が)○○くんが好き」「告白してくれた○○と付き合って、始めて手を繋いだ!(私が)ドキドキしちゃった!」と、自分が主語の恋バナをしていた皆さん。今はどうですか?自分のポジティブな感情を素直に話していますか?
大学生の頃から薄々感じていたのだが、女性は大人になるにつれ
・主語が相手
・好意を寄せられることが喜ばしくない
という内容の恋バナ……いや最早恋バナではない……をする人が増えたように思う。(ちなみに男性が男同士でどういう話をしているのかは知らない。女性である私の前でそんな話を繰り広げないからだ。)
私はそういう話に対して「大変だなあ」とか、「ちゃんと断らないから振っても付き纏われるのでは」と同情の気持ちを示していたが、ある日突然ひらめいたのだ。
彼女たちは、自分が「好きでもない人からも好かれてしまう、価値の高いメスである」と誇示したいのでは…???
そう考えると、色んな物事の辻褄が合ってくる。
ある人に、「今度高校の同級生と3回目のご飯に行く。3回目って告白されるもの?」と聞かれた。わかるわけがない!!と思いつつ、大真面目に「食事デートしかしてないの?」「恋愛トークはした?」など質問したうえで、「今度外で遊ぶデートに誘われて、その時告白とかありえるかも♪次回が楽しみだね!」と言ったら「○○には絶対告白されるよって言われた〜え〜でも付き合う気ないな〜」とのこと。じゃあ3回目に行かなければいいじゃんと思ったのだが、たぶん、正しい人間は異性から告白されたというステータスを一回でも多く手に入れたいのだろう。数字は裏切らないから。
別の人と「ロマンチックなクリスマスとは」という談義になったときに、私は「去年はクリスマスシーズンに女友達とエディブルフラワーを食べたり、クリスマスマーケットを覗いたりしました。ロマンチックな遊びは女友達とすることが多いですね。アフタヌーンティーでプリンセス気分に浸るとか、お花畑に行くとか、そういう乙女チックと言われがちな遊びは女の子の方が乗り気だからです。」と物凄く前向きで楽しい回答をした。にも関わらず、その人は「昔全然好きじゃない男性に、好きな人だったらロマンチックだと思うんだろうなというシチュエーションで告白された、気持ち悪かった」という話を始めた。なんでだよ。ロマンチックもクリスマスもポジティブキラキラワードなんだから、それに見合ったハッピーオーラ溢れる話をしてくれよ。と思ったが、まあその、なんだろう、ロマンチックなことをしてもらえるひとであることは伝わってきた。
みんな、自分が価値ある存在であるとアピールしたいのなら、もっと素直に「前から素敵だと思ってたあの先輩をデートに誘ったらOKきた嬉しい〜!」とか「この前彼氏が○○してくれて超嬉しかった」みたいな明るい話をすればいいのに。その方が「やったじゃん〜!!!絶対いけるよ✊」「最高だね〜〜!!もう入籍しな(笑)」と場も明るくなると思う。どうして自虐的に需要アピールをするのだろう。不思議で仕方ない。
「こんな人に向けてこんなメニューを開発した!こんな人に是非食べてほしいと思ってPR頑張ったらお客さん増えて嬉しい!✨」と頑張った&成功アピールしているレストランより、「客多すぎ💢さばくのが大変なんだよ!💢」と言っているお店のほうが売上高いんだろうなと思わせられるのと同じなのだろうか。
そう思うと、寄ってくる人が多すぎて迷惑とアピールする=価値が高いという図式が理解できてくる気がする。
この世は需要と供給でできている。日々会社で売上とか広告効果とかの数字を見ていると、嫌でもそのことは分かる。仕事以外にも、友人関係、恋愛、家族関係、趣味、ぜんぶがぜんぶ、需要と供給でできている。
早くこの競争社会から降りたい。